阿波忌部氏について

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阿波忌部氏と東福寺について

阿波忌部氏

阿波忌部氏とは、忌部神社に祀られた天日鷲命(あめのひわしのみこと)です。

忌部神社に祀られた阿波忌部氏である、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の記録は、平安時代である大同2年(807年)に官人・斎部広成が編纂した「古語拾遺(こごしゅうい)」で確認できます。

時代は紀元前660年1月1日に奈良県で即位した初代天皇の頃、神武天皇仕えていた、天富命(あめのとみのみこと)へ神武天皇から、五穀が豊かに実る土地へ麻を耕作し麻布(あらたえ)という布を作るよう、勅命がありました。

天富命は、後に阿波忌部氏として祀られる「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」の孫たちを率いて、五穀が豊かに実る土地を求め阿波の国へ辿り着きました。この阿波の土地に、麻、和紙の原材料となる落葉低木である楮(こうぞ)、穀(かぢ)を植えて、その実などでこしらえた「麻布(あらたえ)」という布を広めました。
大嘗祭の年に麻布を天皇に献上する部族が現在も続く阿波忌部氏となっていきます。

祖神である天日鷲命を祀り、氏(うじ)の神として、尊崇し建てた神社が現在の忌部神社です。
その後、神亀元(724)年に忌部大祭主玉渕宿祢が忌部神社の法楽として法福寺を建立し、さらに、東寺・西寺を建てた、後東寺を東福寺と改め、忌部別当としたことから、東福寺は「忌部別当東福寺」となりました。

大同2年(807)斎部広成撰『古語拾遺』

大同2年(807)斎部広成撰『古語拾遺』の神武天皇の「造祭祀具の斎部」の項に

…前略…
天日鷲命あめのひわしのみことが孫、木綿ゆう またを 麻并また あら たえ〔古語に、安良あら多倍たへといふ。〕を造る。
りて、天富命あめのとみのみことをして日鷲命ひわしのみことが孫を率て、肥饒ところぎてはのくにに遣はして、かぢあさたねゑしむ。
其のすゑ今彼くにに在り。大嘗おほみにへの年に当りて、木綿ゆう麻布あらたへ また 種種くさぐさの物をたてまつる。
所以このゆゑに、こほりの名を麻殖おゑことのもとなり。
…後略…※訓読文

上記の意訳

阿波忌部について

阿波の忌部氏とは、神武じんむ天皇の時代に、天皇の勅命ちょくめいで、あめのとみのみことが、天日あめのひわしのみことの孫たちを率いて豊穣な土地を求め、阿波の国にやって来て、
その地に、麻、こうぞかぢを植え、それで作った「麻布あらたえ」という布を、大嘗祭おほなめさいの年に、天皇に献上する部族が、阿波忌部氏でありました。
その作物を植えた所を、麻殖おゑと云うようになったのです。

そして、その祖神である天日あめのひわしのみことまつり、うじの神として、尊崇そんすうし建てた神社が、忌部神社となります。

(東福寺沿革参照)

山岡鉄舟筆 忌部神社
阿波忌部祭主 天日鷲命